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おわら歌詞

 

不易流行 - 変わってはならないものもある -

近世江戸の頃より八尾では、長唄、浄瑠璃、義太夫など謡曲はいうまでもなく狂歌、川柳や言葉遊びの短詩を掛け合う舞句などがもてはやされていたといいます。そのさまざまな言葉遊びが八尾独特の情緒を持った歌詞、唄を育んだと考えられます。

おわらの歌詞には「古謡」と呼ばれるものと、「新作おわら」と呼ばれるものがあります。「古謡」は昔から唄われている詠み人知らずの唄です。「新作おわら」はおわら中興の祖川崎順二が招いた小杉放庵の「八尾四季」を詠んだ歌が舞踊家若柳吉三郎によって振り付けされ評判をとったのがきっかけで、新しく詠まれ始めた歌などを言います。さらに近年、歌詞部主管で全国の方々より歌詞を募集し、選者により入選歌とした歌詞と合わせ、三千を越す歌詞が残っています。

歌詞は時代とともに変化しています。「変化すること」自体、昔から変わっていません。しかし、おわら歌詞の規律の中で詠まれた歌を唄い手たちが、何百年もの間、おわらのアヤと呼ばれる独特の節を伝承し、今日のおわら節があります。

 

   歌詞の種類

唄は七五調、上の句(七・七)、下の句(七・おわら・五)の 26文字からなる「平唄」、平唄を基本として上の句の最初に5文字が加わる「五文字冠」、文字数にこだわらず情景や心情を表す「字余り」などの種類があります。

  

 

 


   八尾四季

おわらの歌詞で踊りと合わせ、最も多く唄われるのが「八尾四季」です。「八尾四季」は小杉放庵が詠んだ歌で、日光市にある「小杉放庵  記念日光美術館」に小杉放庵の日記が残され、それによると昭和3年2月に「八尾四季」を詠み、八尾に送るとあります。

 
 
 
 

 

 


   おわら節・民謡の味

本場のおわら節は素朴で、かと言って格調高い魂の揺さぶりがあり、民謡の味があると言われます。「素朴」と「格調高い」は一見、矛盾するように思えます。しかし、おわら節が唄われる中で、それらがすべてしっくり収まってしまうのはなぜでしょうか。

その答えのヒントは、翁 久允(おきな きゅういん)の未発表原稿(おわら資料館貯蔵)より導き知ることができます。翁 久允は、明治21年。富山県中新川郡東谷村大字六郎谷(現立山町東谷)生まれのジャーナリストであり、小説家。昭和14年から役4年間、おわら懸賞歌詞の選者でした。

 

・・> 民謡も又、国民生活の中の一つの野菜か肉類の役をつとめているものである。否な、凡ての文化的方面のもので、一つとして必要でないものがないのである。人間は必要に依ってそれらの各文化を創造して来たのだ。創造して来たのは、大根も人参も一つだという意味で創造したものでなく、大根には大根の味と養分、人参には人参のそ れがあるためである。

 だから、「民謡」は純粋な詩や歌や俳句や格言やその他のものと別な味と心をもってる故に存在の価値があり、存続させる必要があるのである。としたら、民謡の味と言ったものは一体何か。

 私は、民謡の味は「情緒」だと思うものである。情緒を離れた民謡を作りたければ、民謡以外の文学的様式を選ぶがいいと思う。その民謡にも地方々々に依って情緒が違う。

「おわら節」には発祥地としての八尾の情緒がその特異なものでなければならぬ。八尾の情緒は八尾の味であり、郷土民生活の普遍的なものであらねばならぬ。それは八尾の伝統的なものから出発する。名産というものがあるが、民謡もその通りである。 >・・

(翁 久允の未発表原稿を抜粋)

翁 久允が述べているように、八尾特異のもの、すなわち門前町から生まれた素朴な町人文化であり、かつて富山藩のお納戸として栄華をきわめたきらびやかな町人文化を歴史の中で経験し、それらが時代の積み重ねとともにまちづくり・町や・周辺のロケーションと融合され、「おわら節」の中に織り込まれてきたからではないでしょうか。それらが八尾ならではの情緒を醸し出し、「おわら節」を唄う唄い手の気持ち・表現力が、いっそう質を高めて格調高い「おわら節・民謡の味」となっているのです。

 

 


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